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トップページ 産業保健と看護 第1回 ポリヴェーガル理論って何?|産業保健活動にポリヴェーガル理論を活用しよう

新しく連載を担当させていただくことになった上谷実礼です。

この連載では、自律神経に関する新しい理論であるポリヴェーガル理論についてご紹介します。ポリヴェーガル理論はここ数年、臨床心理の分野で注目されていますが、産業保健の現場でも活用できることが多いと感じています。

人体のしくみ、神経系のメカニズムについて学ぶと、いのちの複雑さと精巧さに感動することばかりで、自分も人も大切に思えるようになってきます。

さあ、一緒にポリヴェーガル理論について学んでいきましょう!

◆ポリヴェーガル理論って何?

ポリヴェーガル理論は米国イリノイ大学の脳神経学者スティーブン・ポージェス博士によって1994年に提唱された自律神経に関する神経理論です。

ポリヴェーガル理論が登場する以前は、一般的には1つの標的臓器を交感神経と副交感神経の両方が支配し、リラックス状態のときは副交感神経が働き、活動したりストレスがかかったりすると交感神経が働くというように、通常は拮抗した作用を示すと考えられてきました。

副交感神経の8割は第Ⅹ脳神経である迷走神経が占めています。この哺乳動物の迷走神経が、実は進化のプロセスの異なる2系統に分かれており、1つの個体の中で古いものから新しいものへと順次積み上がってきた自律神経系が3つの階層構造を形成すると説明したのがポリヴェーガル理論です(図1)1)

「ポリ」とは「複数」、「ヴェーガル」とは「迷走神経」の意味ですから、ポリヴェーガル理論を日本語で表現すると「多重迷走神経理論」となり、哺乳動物の自律神経系の進化と、特に迷走神経の機能に関する新しい視点を与えました。

この理論に最初に注目したのは臨床心理の分野、特にトラウマ臨床をしている専門家たちでした。レイプ被害に遭遇した方々が「逃げればよかったのに」「嫌だと言えばよかったのに」と周囲から言われても、そうできないぐらいに体が固まってしまって動けなかったという状態を従来の自律神経理論やストレス学説では説明できず、裁判では「(性交渉に関して)同意があったのではないか」とみなされてしまうということがよく起こっていました。

ポリヴェーガル理論が、トラウマを引き起こす可能性のあるレイプのような危機的状況下での生物の防衛反応を理解するための理論的な枠組みを提供したことで、「凍りつき」や「シャットダウン」と呼ばれるような状態がなぜ起こるのかを医学的に説明できるようになったのです。

◆周囲の環境に応じて自律神経系は切り替わる

従来の自律神経理論やストレス学説とは異なり、ポリヴェーガル理論では、周囲が安全安心を感じられる状況か、危険を感じる状況か、命の危険を感じる状況かで3系統の自律神経系が切り替わって環境に対応すると説明されます。

まず、周りが安全安心を感じる状態だったり、気の置けない仲間と一緒にいてリラックスしたりしている状態のときは、哺乳類になってから獲得した新しい迷走神経である①「腹側迷走神経複合体」(図2)が働きます。私はこれを「つながりをつくるための神経」と呼んでいます。

次に、周りからストレスがかかったり、危険を感じたりすると、その状況に対応するために②「交感神経系」が働きます。交感神経系は「闘うか逃げるか」のための神経といわれることがありますが、闘ったり逃げたりするときだけでなく、自ら能動的に動いて周囲の環境に働きかけて自分の方から環境を変える(能動的対処)働きをします。私はこれを「自ら動いてなんとかするための神経」と呼んでいます。脅威に対して闘うか逃げるかの行動を取ったり、締め切り前に徹夜で頑張ったりするのも、交感神経系の働きによるものです。

さらに、交感神経優位の状態が長く続き、自分で頑張ってもどうにもならないような状態に陥り、環境に働きかけるよりも、自分を保持する必要があるときは、進化的に古い③「背側迷走神経複合体」(図2)に切り替わります。ただじっとして、危険が過ぎ去るのを待つ状態です(受動的対処)。先ほどのレイプ被害者が「体が固まって動けない状態」がまさにこの状態です。私はこれを「いのちを守るための神経」と呼んでいます。この状態が長く続くと、うつ病のような症状も表れます。

私たちの身体は、自律神経系やその他の神経系のメカニズムによって、常に周りの環境が安全か危険か生の脅威があるかどうかをモニターしています。ここでいう「生の脅威」は文字通りの「命が危ない状況」だけでなく、「社会的な生の脅威」も含まれます。たとえば、いくら頭で「仕事を頑張らなきゃ」と考えて自分を鼓舞しても、頭ごなしに否定される、非難される、恥をかかされる、孤立させられるといったような環境では、自律神経を介して「生の脅威」に直面しているときと同じような身体的反応が起こり、「(社会的な)生の脅威」に対処しようとするのです。

①腹側迷走神経複合体が優位の状態がよくて、②交感神経系や③背側迷走神経複合体が優位の状態が悪い、ということではありません。②と③は「いのちを守る」ための防衛反応なので、人間にとって必要な反応です。

通常、この3つのシステムが周囲の環境と自身の内部の状況によって、①から③の状態を自由に往復運動をするように切り替わっているのが自律神経系の健全な働き方です。そして、どちらかに行きっぱなしになったり、両者を乱高下したりするのが、病的な働き方のときです。

次回以降は、最近、注目を集めている心理的安全性とポリヴェーガル理論がどう関連するのか、また、産業保健の現場でポリヴェーガル理論をどのように役立てていくのかを活用事例も示しながら解説していきます。お楽しみに!!

参考文献

1)津田真人.ポリヴェーガル理論への誘い.東京,星和書店,300p.
2)津田真人.「ポリヴェーガル理論」を読む:からだ・こころ・社会.東京,星和書店,636p.


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◆著者プロフィール

上谷実礼(ヒューマンハピネス株式会社代表取締役)

千葉大学医学部卒。多くの企業での産業医活動とあわせて、メンタルヘルスやコミュニケーションの専門家として企業や対人援助職向けの研修・講演・コンサルティングを行う他、個人向けには自己受容のためのカウンセリングや講座・勉強会を行っている。

◆著書(画像をクリックすると詳細ぺージへ飛びます)