和形麻衣子
私が“ここ”を選び、今“ここ”にいる理由は、運命を変えたい! という気持ちからだ。もともと生物が好きで、中学・高校時代は『自然科学部生物班』というマニアックな部活に在籍していた。ニンジンの形成層の組織に植物ホルモンをいろいろな濃度比で投与して、カルス(未分化な植物細胞の塊)を作る実験や、合宿では昆虫を採集していた。中学3年のときに部活の友人が「京都大学の大学祭で『人体発生展』という展示があり、とてもおもしろかった」と言うので、高校1年生のときに私も行ってみた。医学部1回生の有志が人体の発生の過程について解説してくれる企画だったと記憶しているが、その中にはさまざまな疾患の胎児の標本も展示されていた。この世に生まれてくることができなかったホルマリン瓶の中の胎児たちの姿に、胸が締めつけられた。生まれる前から運命が決まってしまっているなんて不平等だ、おなかの中で赤ちゃんの治療ができたらいいのに…と思った。そうして、私は胎児治療を行うために産科医になりたいと考え、医師を志した。
初期研修であらゆる診療科をローテートした後も決意は変わらず、聖隷浜松病院で産婦人科の後期研修を開始した。産婦人科全般の研修をしながら、双胎間輸血症候群に対する胎児鏡下胎盤吻合血管レーザー凝固術をはじめ、さまざまな胎児治療に触れる機会があった。先生方にも熱心に指導いただき、非常に恵まれた研修だった。その中で、胎児治療への気持ちはますます強くなり、宮城県立こども病院、東北大学大学院を経て、大阪母子医療センターに着任し、胎児治療に携わることとなった。
胎児治療の対象となる疾患はほんの一握りしかなく、また胎児治療を行っても残念ながら救命できず、無力感に苛まれることも多々ある。それでも、治療が奏効して胎児の状態が改善し、無事に出産までたどりついたときには、その赤ちゃんの運命を変える手助けを少しはできたのかなと思い、とてもうれしい。
すべての子どもたちの人生が、実り多い幸せなものになりますように!
本記事は『ペリネイタルケア』2025年3月号の連載Rootsからの再掲載です。
