新生児医療との出会い
学生時代、小児科の臨床実習2週間のうち、NICUの見学はわずか1時間でした。NICUの教授が赤ちゃんの説明をしながら病棟内を案内してくださいました。教授の話は全く覚えていないのですが(すみません)、保育器の中にいる1人の超低出生体重児の赤ちゃんに出会い、衝撃を受けたことを約30年経った今でも鮮明に覚えています。小さい体だけど、全力で「生きている」ことをアピールしていることに感動し、新生児医療を目指しました。この一瞬がなければ、新生児医療とは無縁の人生を送っていたと今でも思います。
こんなふうに一目惚れをして飛び込んだ小児科でしたが、新生児に関わることなく大学病院での小児科の研修が終わり、地域の病院で一般小児科医として病棟当番をしていた日、「産科で生まれたベビーにチアノーゼを認めます」と連絡がありました。すぐに診察に行きましたが、私には、“何かおかしい、しんどそう……”としか分からないまま、とにかく総合周産期母子医療センターに連絡し、新生児搬送を依頼しました。しばらくすると、ドクターカーで新生児科の先生が颯爽と現れ、搬送バッグからいろいろと取り出し、テキパキと処置をして、お母さんに丁寧に説明し、赤ちゃんはNICUへ搬送となりました。ほんの1時間弱の出来事でしたが、私は再び感激し、「すごい! ドラえもんみたい。私もなりたい!」と、さらに新生児医療への憧れを膨らませました。
希望がかなってようやくNICUでの研修が始まり、最初は無我夢中で、目の前の赤ちゃんのことを考えるのに精一杯でした。そして、ドラえもんになるべく修行を積む日々を過ごしていました。その後、一般小児科、重症心身障害者施設、地域周産期母子医療センターへと転勤し、たくさんの赤ちゃんやNICUの卒業生と家族に出会うことができ、私にとっての新生児医療は、フォローアップや在宅支援などにも広がりました。
でもやっぱり、NICU で赤ちゃんから日々元気をもらい、ドラえもんを(今は、後輩がドラえもんになってくれることを)目指していることも変わらず、新生児医療の奥深さをさらに感じている日々です。
奈良県総合医療センター新生児集中治療部部長
扇谷綾子
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す!がおのひとこと
どういう巡り合わせか、地方のNICUで働く私にこんなバトンが渡されました。なんとかバトンをつなぎたいと昔を思い出して書かせていただきました。
日々の業務に追われつつ、家に帰ってツンデレなトイプードルに癒やされ(振り回され?)ています。
本記事は『with NEO』2024年6号の連載「新生児医療の あ!のひと」からの再掲載です。