菅家由紀子
私が初めて助産師という職業を知ったのは、乳児院の保育士として働いて2年目の頃でした。母子支援の専門職があるなんて、これは目指すしかないと思ったのです。
晴れて助産師になり、BFH認定病院で働き始めました。乳児院時代に抱いた妊娠期~出産後の支援への疑問は、少し理解できるようになったものの、妊娠に至る前から必要な教育もあると気付きました。やがて、母乳育児支援のできる助産師が、私にとって新たな助産師像になりました。母乳育児を通して母親が自信を取り戻す、それに伴走できる喜びは代え難いものです。育児期はとても長く、子どもの月齢によって悩みも変わります。母子にいつでも寄り添える助産師になりたいと今も思っています。
病院での14年間は、母乳育児支援に没頭しました。入院中だけではなく、退院後支援の重要性も痛感したことから、私の関心はますます地域での支援に向かっていきました。そんな中、乳児院の先輩が産前産後母子支援事業を始めたいと思っていることを知り、乳児院に戻ることを決めました。
乳児院は、従来の役割に加え、地域のニーズに応えられるよう、多機能化を進める必要があります。その一つが予防的支援機能であり、産後ケアや妊産褥婦への生活援助が含まれます。妊産褥婦の支援には助産師が欠かせません。しかし、助産師を必要な時だけの契約としている乳児院が大半です。助産師が乳児院の職員として事業に携わることで、活動範囲は確実に広まります。私は入職2年目に事業を開始し、現在年に1~2名を妊娠期から支援しています。今後は、妊娠葛藤状態にある方への支援も行いたく、京都府助産師会とも協力していきたいと思っています。
私が助産師を目指したきっかけは、「妊娠期から関われば何か変わるかもしれない」という漠然としたものでしたが、病院で母乳育児支援や社会的ハイリスクな症例に出会い、培ってきた経験は、再び乳児院へ戻り、新たな挑戦をさせてもらう機会につながりました。助産師業務だけの日々ではありませんが、乳児院に助産師が必要とされていることは確かです。これから助産師を目指す方や今後の自分の道を悩まれている方に、 乳児院で働くことも一つの道であると本稿を通じて知っていただければうれしいです。
本記事は『ペリネイタルケア』2024年11月号の連載Rootsからの再掲載です。