大阪大学医学部附属病院 胎児診断治療センター 副センター長
遠藤誠之
医学部5年生のとき、友人から借りた本で胎児治療のことを知った。先天性横隔膜ヘルニアの胎児に対して、妊娠子宮を切開し、胎児の横隔膜を直接閉鎖するというアメリカでの手術の話だった。衝撃を受けた。胎児治療をしようと、そのとき決めた。
産婦人科を選んだ。胎児治療医になるつもりで選んだ。大学院で胎児遺伝子治療を志し、フィラデルフィア小児病院にポスドクとして留学した。ボスのDr. Flakeが、アメリカで胎児治療の臨床と研究を続けることを勧めてくれた。米国医師免許を取得後、フィラデルフィア小児病院胎児診断治療センターの特殊分娩部でフェローとして2年間研修した。フェローの研修は、多種多様な胎児疾患に触れ、やりたかった胎児手術にも加わることができ、非常に充実していた。一方で、限られた胎児疾患のごくわずかな症例にしか胎児治療ができない現実と、出生前診断のカウンセリングで、わが子の胎児疾患が診断され、涙を流し悲嘆するご両親に接する毎日の中で、「自分は本当に胎児治療がしたいのか?」と悩む日々が続いた。
ある日、ひらめいた。胎児治療って、病気をもつお腹の中の胎児を治す、狭い意味での胎児治療もあるけれど、お父さんとお母さんが安心して子どもを産み育てることのできる社会を作ることも、広い意味での胎児治療じゃないか、って。じゃあ、その両方を目指そう。これが自分の目標になった。
今さまざまなことに取り組んでいる。まだ日本では確立されていない胎児治療を日本でもできるようにすること。胎児疾患と診断されて、悲嘆し、悩み苦しむご夫婦に寄り添うこと。家族や地域の育児サポートシステムが希薄になる中、次世代の子育ての場を創生し、安心して子育てができる社会をつくること。自分の中では、狭義・広義の「胎児治療」が軸となり、すべてがつながっている。みなさんに伝えたい。周産期医療に関わる人たちは、みんな「胎児治療」をしているんだよ、と。みんな仲間だね。
本記事は『ペリネイタルケア』2024年10月号の連載Rootsからの再掲載です。