放浪と孤軍奮闘……何て人生だ! ……でも続けていてよかった
私の学生時代は、医師になる展望もなく、ボート競技でオリンピック出場を夢見ていました。卒業間際になって、臨床実習時に見た超早産児の処置をする聖隷浜松病院新生児科の先生の姿を思い出して浜松医科大学小児科に入局。しかし、(医局違いで)聖隷浜松病院のNICUでの勤務は叶いませんでした。
市中病院を経て、卒後3年目に都立八王子小児病院新生児科で研修するも、早々に大学に戻されました。当時、大学には新生児科医はおらず孤軍奮闘しましたが、新生児診療体制のない病院に嫌気がさして市中病院に移りました。しかし、新生児医療が忘れられず静岡県立こども病院新生児科へ。ところが、新生児オンリーの生活に「NICUを卒業した児がその後に罹る病気を診断できるのか?」と思い、また市中病院に異動。すると、また“新生児診たい病”が再燃して東邦大学大森病院新生児科へ。しかし、わずか2年で、大学にNICUが開設されたので戻れと言われました。新生児科医は相変わらずただ一人。また家族を顧みず孤軍奮闘しましたが、本来予後が悪くないはずの児が後遺症を残す状況に幻滅。やむなく受け入れ制限すると、入院は軽症ばかりになる始末。“最もヒマな病棟”と揶揄され、息子からも「将来医者にはならない……家に帰って来られないから」と言われ、逃げるように単身で東邦大学大森病院に戻りました。しかし、そこは深刻な医師不足で、NICU病床縮小や加算返上も検討する状況でした。その後、状況は改善しましたが、自身はバーンアウト状態となり、医師を辞めて一般の大学教員になりました。
そんなとき、浜松医科大学から新生児診療の人材育成を行う寄附講座の責任者の要請があり、2012年に着任しました。自分を磨くことばかり考え、現状に満足できずに転々(引っ越し12回)として地に足がつかない状態の私に、人を育てるという新たな生き方を与えていただきました。自分の考え方が変わると徐々にスタッフが増え、今では新生児科医は6名になって、思い描いたNICUになりつつあります。放浪時代も含めて30余年、こんな私に声を掛け、受け入れていただいた先生方には感謝するばかりです。
浜松医科大学地域周産期医療学講座特任教授
飯嶋重雄
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す!がおのひとこと
自宅の庭の木の巣箱に、毎年シジュウカラが巣を作ります。巣作りと抱卵はメスだけで行いますが、雛が孵るとメスとオスが共同で餌を運び、巣立った後も自分で餌がとれるようになるまで付きっきりで見守ります。大らかなメス、神経質なメス、気の強いメス、マメなオス、ちゃらんぽらんなオス、子煩悩なオスなど性格もさまざまです。人間と全く変わらないなと思ってみています。でも、子を必死で守ろうとする力は人間より上? 今年も5羽の雛が巣立っていきました。
本記事は『with NEO』2024年5号の連載「新生児医療の あ!のひと」からの再掲載です。
- 第1特集「新生児の消化器症状アセスメント」では、現場でよく遭遇する症状から緊急対応が必要か、経過観察でよいのかをチャートでぱっとみて理解できるような構成です。外科的な内容が多い消化器疾患について学べる特集です。
- 第2特集「低出生体重児の皮膚ケア」では、以前ご好評いただいたNICUでよく使うテープや保護剤一覧表のアップデート版がついております! 今回もたくさんダウンロードしてご活用いただければ嬉しいです♪
- 特集の他にも、取材記事2本立てなどボリュームたっぷりな1冊です。ぜひご覧ください!