取材
河合 蘭(出産ジャーナリスト)
ー本稿は、取材と母・あゆみさん本人の手記をもとに構成しましたー
本取材は2024年の3月に行われ、橋本先生とともに坪田さんご自宅を訪問し、あゆみさんと橋本先生、介護士の和口香織さんが歓談するひとときに同席させていただきました。
本記事は、『with NEO』2024年5号 p.134~137の続きです。
(写真提供/坪田あゆみさん)
新生児科医で母乳育児の第一人者である橋本武夫医師には、長年、親交が続いている親子がいる。原因不明の神経障害がある坪田さとみさんと、その母親のあゆみさんだ。
さとみさんは9歳の時、ひどい下痢でまったく栄養が摂れず危ない状態に陥ったが、あゆみさんは知人から冷凍人乳をもらい、この危機から脱することに成功した。しかし、さとみさんの主治医はこの方法に反対し、あゆみさんは内緒で冷凍人乳を与えた(感染症の面から問題もありましたが、それも理解し受け入れての行動である)。
坪田さん親子の経験は、人乳にはいかに大きな力があるかを教えてくれるが、それだけではない。通常は行われない方法(治療)を家族が希望した時、医療者はどう対応すべきか。それを考えさせてくれる物語でもある。
『with NEO』2024年5号のあらすじ
あゆみさんは、新たに冷凍人乳を提供してくれる方を探すために、冷凍人乳提供の協力をお願いする書類を作り、何カ所もの産婦人科や助産院に送りました。 すると、書類を受け取った個人開業の先生や看護師さん、助産師さんの中には、さとみさんの状況に共感し、入院中のお母さんが搾乳したものの余りを送ってくださる方が何人か現れ、だんだんと母乳のネットワークは広がっていきました。
ある日、インターネットで「母乳」と検索すると、当時、「日本母乳の会」の会長をしていた、新生児科医の橋本武夫先生の名前があゆみさんの目に留まりました。そして、橋本先生にこれまでの経緯を伝えるお手紙を書いて送ったところ、なんと、直筆のお手紙とたくさんの母乳に関する文献やご自身の著書が入った宅急便が届きました。
主治医に打ちあける
これで準備ができたと思った私は、橋本先生の手紙を手に、さとみの主治医の先生に人乳を与えていることを告げました。すると先生は、この時は即座に冷凍人乳をあげることに賛成してくれました。それはあっけないほどでした。主治医の先生にしてみれば、私がこんなことを深刻に悩んでいたとは思ってもみなかったそうです。そして「橋本先生のお手紙は家宝にしてください」と言われました。
さとみは冷凍人乳を毎日飲みながら日ごとに良くなり、口からの食事は生涯できないと言われた子だったのに、イチゴやプリンを口から食べられるようになりました。やがて雑炊も入れられるようになって、この調子だったらIVH(中心静脈栄養)の離脱も可能かもしれないと言われるほどになりました。
その後、さとみには状態が良いときも、悪いときもありました。けいれんを抑える薬の副作用で腎臓が弱り、薬をやめた時は中耳炎や高熱、それを治療する抗生物質から起こす下痢などが重なって身体が強く反り、そのことによる骨折が起こるほどでした。
しかし、そうした危機も、ひとたび良い方向に向かうと、何かのスイッチが入ったように落ち着いていきます。東京の病院に、さとみが治るかもしれない脳の手術があるという情報が入った時は、たくさんの友人に助けてもらって、東京にさとみを連れて行きました。結論は、その手術はさとみには適切ではないというものでしたが、旅をすることができました。
6年間の授乳を終えて
左から橋本先生、介護士の和口香織さん、坪田あゆみさん、さとみさん。
(写真/河合 蘭)
いろいろなもので栄養が摂れるようになったさとみは、15歳の時に6年間続けた冷凍人乳を卒業することができました。 さとみは毎日、一日、一日をがんばって生きています。特別な治療をしているわけではないのに、元気に成長していくさとみを見ていると、人は「生かされている」のだと思います。気分がいいときは「あー、あー」と話しかけてくれます。かつては胃や喉に穴をあける処置を強く勧められたこともあったさとみでしたが、断ってよかったです。
胃や喉に穴をあけなったというあの選択、そして冷凍人乳を与えたことも、それが正しい選択だったかどうかは、誰にもわからないでしょう。ただ、これらの選択で、私たち親子は、幸せに暮らすことができたと思うのです。
「9歳の子の命をつないだ」という人乳の新事実
坪田さんから初めてお手紙を頂いた時、私が感じたことは「このお母さんはぎりぎりのところまで追い詰められている」ということでした。助けが必要だったのです。お手紙は13枚の便箋に綴られていて、必死に専門家とのコミュニケ―ションを求めていらっしゃいました。
私はNICU(新生児集中治療室)で、下痢症に苦しんで栄養が摂れず、脱水になっていく新生児が母乳で救われるという経験を何度もしていました。ですから、さとみちゃんの場合も、人乳を試してみる価値は十分にあると思いました。
年齢は9歳と大きかったのですが、昔は小学生になっても母乳を飲んでいる子がいました。もらい乳を介して感染が起こる危険性はありますが、2000年代前半の当時は、安全な人乳を提供できるバンクは日本にまだ存在していませんでした(NICUのなかで狭義の母乳銀行を実践していたところは数多くあったかと思います)。ですから、今と違って、もらい乳が行われているNICUは全国にありました。
とはいえ、やはり、さとみちゃんに実際に会わないとわからないことはいろいろありますので、直接会いに行くことにしたのです。初めてさとみちゃんと会った時は、あまりにも痩せていたので驚きましたが、お母さんの頑張りには感銘を受けました。
人乳が入ったさとみちゃんの腸管で何が起こっていたのか、それは現代の医学レベルでは簡単にわかることではありません。ただ、そもそも子どもに乳を与えるということは哺乳動物の当為であり、裏付けとなるデータは要らないのではないかとも思います。
もうひとつ、ここで強く感じることは、お母さんへのメンタルサポートの大切さです。お母さんに何か欲しいものができたら、それをマニュアルを楯にして反対したり、簡単に否定したりしないで、真剣に聞き、少しでも可能性があるものなら応援してあげることが大切です。それによって、限界まで追い詰められているお母さんの心は、だいぶ楽になるのです。
そして、9歳のさとみちゃんが何も受け付けなかったのに人乳だけは受け付け、少しずつ他のものも消化できるようになっていったことは、医学界にとっても貴重なことと考えます。「母乳なんてとんでもない、できるはずがない」と最初に諦めてしまっていたら、この事実はわかりませんでした。既存のデータにないこと、マニュアルに載っていないことを否定すれば、医学の進歩や発見はありません。
また、私がうれしかったのは、初めからの主治医であったT先生がさとみちゃんの最後の救急の場面を最初に報告してくださったことです。心から感謝します。そして、さとみちゃんは、お母さんの頑張りによって、新事実を教えてくれました。私は、私たちにたくさんのことを教えてくれるさとみちゃんのこの物語をたくさんの人に知ってほしいと思っています。
【現地取材・2024年3月11日】
さとみさんは、2024年6月に容体が急変して亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。
本記事の内容は、取材当時のものです。
本稿では、母乳・人乳の用語について下記の通り使い分けをしております。
- breast milk(feeding):胸に抱いてあげる母乳
- mother’s milk:母乳
- human milk:人乳
本記事の前編は『with NEO』2024年5号でご覧いただけます。