黒松内科すぎもとクリニック 院長
黒松内科附属公認心理師養成塾「陽明館」塾長(2019年5月1日創立)
杉本是明
しかし、私にはもう一つの顔があります。私は30年のキャリアを持つ医師であり、内科医です。最初の5年間だけ特例措置があって、現任者は特別な講習会を受講することで、公認心理師国試の受験資格を得ることができます。私は心療内科専門医(心療内科学会)および心身医療「内科」専門医(心身医学会)としてこの特例措置を利用し、一度の受験で合格しました。精神科医も何人か合格していると思われますが、内科医はほとんどいないものと予想されます。
実は私の専門は脳神経内科であり、神経内科専門医(神経学会)です。これまで市中病院や大学などに勤務していたのですが、2017年9月、生まれ育った仙台市の実家のそばに開業しました。公認心理師国試受験時、まだ開業1年であり、クリニックを軌道に乗せることで精一杯、さらに不毛なトラブルが続出し、とても受験どころではなかったのですが、心理職の国家資格は私にとって30年来の悲願だったので、勉強時間を確保するため、春から朝4時に起きて睡眠時間を削って勉強、時間が足りず学習予定の6割しか進みませんでしたが、何とか合格証を手に入れることができました。医師国試以来、30年ぶりの国試で、50半ばのおっさんには正直きつかったです。
北海道大学教育学部 特殊教育・臨床心理学講座(当時)は諸富先生の出身研究室であり、講座主任の狩野教授は諸富先生の師匠にあたる方でした。私は5年生の夏休みに札幌まで狩野先生を訪ね、1時間くらい教授室で話を聞いたことを覚えています。旧帝国大学の教授が、どこの馬の骨かわからない20代半ばの若者に1時間も講和し、いろいろ便宜も図ってくれました。しかし、「うちに来い」とは最後まで言いませんでした。
医学生は医師国試に合格すると、医師として臨床研修に入るのが普通です。医学部卒後に教育学部に学士編入すれば2~3年ほど同期から研修が遅れます。私はずいぶん悩みましたが、1年たったある日の朝、シャワーを浴びているとき、なぜか急に悟りの境地に達したことを覚えています。「悔いのない人生を送るためには、誰も踏み込んだことがない大海原に飛び込むのも一つの方法ではないか」と。私は6年生の夏休みに再度、狩野先生を訪ね、編入試験を受験したい旨を伝え、よしんばどういう問題がでるのか聞き出そうと企んでいました。しかし、先生は一言も試験問題については触れず、“心理学とは何か” の初心者向けの講話を延々と続けておられました。
結局、翌年2月に教育学部編入試験を受験しました。4月にある医師国試の勉強をしながら、編入試験の勉強(英語の学力試験、教育学・心理学の専門試験、口頭試問)もしたので、相当にきつかったのを覚えています。北大の編入試験は、転部希望の学生と他大学の卒業生(学士)を一緒に受験させることで、学力レベルを落とさないように工夫していました。
しかし、今のようにネット社会ではありませんので、過去問はおろか編入試験すら公表しておらず、たまたまその情報を知り得た者だけが受験できるありさまでした。転部希望の学生は学内にいるため、そういった情報を得やすい状況でしたが、他大学の学士編入希望者は情報を得ることが極めて困難でした。私はたまたま本屋で見つけたある一冊の本に出会い、人生が変わってしまったのです。
安井みすず著「大学へのもう一つの道 ―社会人入学・編入学のすべて―」、創元社。1984年初版。
かくして、倍率3倍の編入試験を突破し、晴れて4月に北海道大学教育学部に学士編入学しました。教育学部で心理学全般のほか社会学を基礎から学び、文学部でも行動科学および心理学実験や実習の授業をとりました。そして狩野ゼミに入って “臨床心理学” を勉学しました。さらに6月からは教育学部に通いながら、札幌市内の病院で2年間精神科の研修も行い、大変学びの多い日々でした。また、こともあろうに、部員が少ないからと、北大体育会ホッケー部にも入ってしまい、寝る暇もないくらい、有意義な学生時代を送っていました。
1991年3月、狩野陽先生の定年退職と同時に、私も北海道大学を卒業し、4月から東北大学大学院医学系研究科神経内科学講座に入局。内科の臨床研修が始まり、時を経て今に至っています。
狩野先生とは師弟関係が続き、1998年、共著で学術論文も発表しました 1)。その後、断続的に交流が続きましたが、先生は2013年11月8日に86歳で逝去されました。
以上のような経緯があるため、私は30年も前から医学と心理学の融和を考えていました。そのころ、民間の臨床心理士の制度ができましたが、医学界との距離が遠く、その後レベルの異なる民間の心理の資格が2019年まで約140個も乱立し 2)、信用できる資格ばかりではありませんでした。これを整理するためには、やはり基盤となる国家資格(免許)が必要であり、“公認心理師” の登場を待ち焦がれていたわけです。
狩野 陽先生に薫陶を受けた身としては狩野心理学から自立し、そして北大で勉強した証として、無理をしてでも、公認心理師にチャレンジする必要があったのです。また、次に述べる、「陽明館」を設立するためでもありました。
これらの要望の応えるため、2019年5月1日(新元号発足日)に、黒松内科附属公認心理師養成塾「陽明館」を創立します。2019年度は塾生2名募集(1期生)で、塾生は黒松内科すぎもとクリニックで働きながら学ぶことができます。8月の公認心理師国試に向けて、臨床経験を積みながら、受験勉強をサポートします。新しい時代にふさわしい公認心理師を養成します。国試に合格するまでは学修生として実務研修、9月の国試合格後は研修生として10月から2年6カ月もの間、臨床研修を提供する予定です。
「陽明館」は受験予備校ではありません。あくまでも適塾や松下村塾のような私塾ですので、自ら勉強したい若者に来てほしいと思っています。「教員-生徒」の関係ではなく、「師匠-弟子」の関係で、少数精鋭の若者を入門させたいと考えています。そのためには、塾長が公認心理師資格を持っていなければ信用されません。それで私は頑張って公認心理師を受験しました。
「陽明館」の名前の由来ですが、言わずもがな、陽(みなみ)先生の「陽」と、小生の名前の「明」からとっています。また、心理職を目指す方の中には、どちらかというと自らの心の闇を解決したいと思って進む人もいるので、「明るく太陽のように生きよう!」という塾生へのメッセージも込められています。
「陽明館」は北大教育学部特殊教育・臨床心理学講座の流れを汲みます。2019年、北大教育学部は創立70周年を迎え、同講座は名称を変えながらも、初代・奥田三郎教授から、狩野 陽→諸富 隆→室橋春光教授、そして現任の安達 潤教授(2015年~)へと引き継がれています。北大では、公認心理師のカリキュラムは現在準備中とのこと。本家に先立ち、「陽明館」では、同門の分家(奥田→狩野→杉本)として、公認心理師の養成を始めます。
「若人よ、大海原に飛び込んでみよ!」
その大きな理由は、公認心理師が何といっても国家資格であるからです。法律で保証されているということはとてつもなく意味が大きい。すでに役所では、心理臨床技術者を公認心理師に読み替えており、ストレス・チェックの実施者には公認心理師が追加され、そのうちスクールカウンセラーも公認心理師の有資格者が求められるようになるでしょう。保険診療でも次の改定では公認心理師に点数がつくものと予想されます。公認心理師資格の2階に臨床心理士や臨床発達心理士が位置すればこそ、それらの価値が出てきます。
だからこそ、皆さんにはまず、心理職の基盤資格となる国家資格「公認心理師」を最初に目指していただきたいと思います。社会が君たちを必要としている!
【引用文献】
1) 杉本是明,狩野陽ほか.行動療法と短時間精神療法を組み症状を改善し得た不安神経症患者の事後経過―不安の精神病理―.心身医学.38,1998,347-52.
2) 日本の心理学に関する資格一覧.フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』.(2019年2月閲覧)
3) 厚生労働省.公認心理師法第7条第2号に規定する認定施設.(2019年2月閲覧)
4) 文部科学省初等中等教育局健康教育・食育課・厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部精神・障害保健課公認心理師制度推進室.公認心理師養成に係る実習性の受入れに関する御協力のお願いについて(依頼).(2019年2月閲覧)
黒松内科附属公認心理師養成塾「陽明館」塾長(2019年5月1日創立)
杉本是明
公認心理師として、医師として
第1回公認心理師国家試験が2018年9月9日に実施され(北海道を除く)、同年11月30日に合格発表がありました。私はこれを受験し、運よく合格、晴れて “公認心理師” と名乗れるようになりました。しかし、私にはもう一つの顔があります。私は30年のキャリアを持つ医師であり、内科医です。最初の5年間だけ特例措置があって、現任者は特別な講習会を受講することで、公認心理師国試の受験資格を得ることができます。私は心療内科専門医(心療内科学会)および心身医療「内科」専門医(心身医学会)としてこの特例措置を利用し、一度の受験で合格しました。精神科医も何人か合格していると思われますが、内科医はほとんどいないものと予想されます。
実は私の専門は脳神経内科であり、神経内科専門医(神経学会)です。これまで市中病院や大学などに勤務していたのですが、2017年9月、生まれ育った仙台市の実家のそばに開業しました。公認心理師国試受験時、まだ開業1年であり、クリニックを軌道に乗せることで精一杯、さらに不毛なトラブルが続出し、とても受験どころではなかったのですが、心理職の国家資格は私にとって30年来の悲願だったので、勉強時間を確保するため、春から朝4時に起きて睡眠時間を削って勉強、時間が足りず学習予定の6割しか進みませんでしたが、何とか合格証を手に入れることができました。医師国試以来、30年ぶりの国試で、50半ばのおっさんには正直きつかったです。
公認心理師国家試験をなぜ受験したか
私は1988年に岩手医科大学医学部を卒業しました。“心を身体から科学する領域” を専攻したいと思い、神経内科か心療内科に進みたいと考え、医学部5年生の春ごろ、某大学の心療内科の助教授に相談に行ったところ、ひどい物言いを受けたことを覚えています。こういう教室には入局したくないと思い、神経内科に絞るつもりでした。そんなとき、当時、岩手大学教育学部教授であった諸富 隆先生にお会いする機会があり、相談したところ、「心理学を勉強したいならば、一度、北大の狩野 陽教授に会って相談してみたら」と紹介してくれました。北海道大学教育学部 特殊教育・臨床心理学講座(当時)は諸富先生の出身研究室であり、講座主任の狩野教授は諸富先生の師匠にあたる方でした。私は5年生の夏休みに札幌まで狩野先生を訪ね、1時間くらい教授室で話を聞いたことを覚えています。旧帝国大学の教授が、どこの馬の骨かわからない20代半ばの若者に1時間も講和し、いろいろ便宜も図ってくれました。しかし、「うちに来い」とは最後まで言いませんでした。
医学生は医師国試に合格すると、医師として臨床研修に入るのが普通です。医学部卒後に教育学部に学士編入すれば2~3年ほど同期から研修が遅れます。私はずいぶん悩みましたが、1年たったある日の朝、シャワーを浴びているとき、なぜか急に悟りの境地に達したことを覚えています。「悔いのない人生を送るためには、誰も踏み込んだことがない大海原に飛び込むのも一つの方法ではないか」と。私は6年生の夏休みに再度、狩野先生を訪ね、編入試験を受験したい旨を伝え、よしんばどういう問題がでるのか聞き出そうと企んでいました。しかし、先生は一言も試験問題については触れず、“心理学とは何か” の初心者向けの講話を延々と続けておられました。
結局、翌年2月に教育学部編入試験を受験しました。4月にある医師国試の勉強をしながら、編入試験の勉強(英語の学力試験、教育学・心理学の専門試験、口頭試問)もしたので、相当にきつかったのを覚えています。北大の編入試験は、転部希望の学生と他大学の卒業生(学士)を一緒に受験させることで、学力レベルを落とさないように工夫していました。
しかし、今のようにネット社会ではありませんので、過去問はおろか編入試験すら公表しておらず、たまたまその情報を知り得た者だけが受験できるありさまでした。転部希望の学生は学内にいるため、そういった情報を得やすい状況でしたが、他大学の学士編入希望者は情報を得ることが極めて困難でした。私はたまたま本屋で見つけたある一冊の本に出会い、人生が変わってしまったのです。
安井みすず著「大学へのもう一つの道 ―社会人入学・編入学のすべて―」、創元社。1984年初版。
かくして、倍率3倍の編入試験を突破し、晴れて4月に北海道大学教育学部に学士編入学しました。教育学部で心理学全般のほか社会学を基礎から学び、文学部でも行動科学および心理学実験や実習の授業をとりました。そして狩野ゼミに入って “臨床心理学” を勉学しました。さらに6月からは教育学部に通いながら、札幌市内の病院で2年間精神科の研修も行い、大変学びの多い日々でした。また、こともあろうに、部員が少ないからと、北大体育会ホッケー部にも入ってしまい、寝る暇もないくらい、有意義な学生時代を送っていました。
1991年3月、狩野陽先生の定年退職と同時に、私も北海道大学を卒業し、4月から東北大学大学院医学系研究科神経内科学講座に入局。内科の臨床研修が始まり、時を経て今に至っています。
狩野先生とは師弟関係が続き、1998年、共著で学術論文も発表しました 1)。その後、断続的に交流が続きましたが、先生は2013年11月8日に86歳で逝去されました。
以上のような経緯があるため、私は30年も前から医学と心理学の融和を考えていました。そのころ、民間の臨床心理士の制度ができましたが、医学界との距離が遠く、その後レベルの異なる民間の心理の資格が2019年まで約140個も乱立し 2)、信用できる資格ばかりではありませんでした。これを整理するためには、やはり基盤となる国家資格(免許)が必要であり、“公認心理師” の登場を待ち焦がれていたわけです。
狩野 陽先生に薫陶を受けた身としては狩野心理学から自立し、そして北大で勉強した証として、無理をしてでも、公認心理師にチャレンジする必要があったのです。また、次に述べる、「陽明館」を設立するためでもありました。
黒松内科附属公認心理師養成塾「陽明館」を創立する理由
公認心理師制度はまだ始まったばかりで、国試合格後の研修方法もできていません。学部卒業者が受験資格取得のために行う実務研修を提供しうる厚生労働省の認定施設は、全国でわずか3つだけです(2019年2月現在)3)。そのうち医療施設は弘前市の私立病院だけですから、まだまだ話になりません。また、学部・大学院での心理実習には医療施設でかなりの時間の実習が必修であり、文部科学省と厚生労働省は医療施設に実習生の受け入れを依頼しています 4)。これらの要望の応えるため、2019年5月1日(新元号発足日)に、黒松内科附属公認心理師養成塾「陽明館」を創立します。2019年度は塾生2名募集(1期生)で、塾生は黒松内科すぎもとクリニックで働きながら学ぶことができます。8月の公認心理師国試に向けて、臨床経験を積みながら、受験勉強をサポートします。新しい時代にふさわしい公認心理師を養成します。国試に合格するまでは学修生として実務研修、9月の国試合格後は研修生として10月から2年6カ月もの間、臨床研修を提供する予定です。
「陽明館」は受験予備校ではありません。あくまでも適塾や松下村塾のような私塾ですので、自ら勉強したい若者に来てほしいと思っています。「教員-生徒」の関係ではなく、「師匠-弟子」の関係で、少数精鋭の若者を入門させたいと考えています。そのためには、塾長が公認心理師資格を持っていなければ信用されません。それで私は頑張って公認心理師を受験しました。
「陽明館」の名前の由来ですが、言わずもがな、陽(みなみ)先生の「陽」と、小生の名前の「明」からとっています。また、心理職を目指す方の中には、どちらかというと自らの心の闇を解決したいと思って進む人もいるので、「明るく太陽のように生きよう!」という塾生へのメッセージも込められています。
「陽明館」は北大教育学部特殊教育・臨床心理学講座の流れを汲みます。2019年、北大教育学部は創立70周年を迎え、同講座は名称を変えながらも、初代・奥田三郎教授から、狩野 陽→諸富 隆→室橋春光教授、そして現任の安達 潤教授(2015年~)へと引き継がれています。北大では、公認心理師のカリキュラムは現在準備中とのこと。本家に先立ち、「陽明館」では、同門の分家(奥田→狩野→杉本)として、公認心理師の養成を始めます。
「若人よ、大海原に飛び込んでみよ!」
公認心理師への期待とこれから目指す人へのメッセージ
黒松内科すぎもとクリニックは、内科・脳神経内科・心療内科・口腔内科を標榜していますが、その半数が心療内科の患者です。患者1日50人とすると、1週間で250人、心療内科の患者の4割が公認心理師のカウンセリングや心理査定を必要であると計算すると、1週間で50人の患者が公認心理師の助けを必要とします。そのほかの医療・保健施設も同様で、大きな病院などでは、さらに職員のカウンセリングなどもあるでしょう。また、教育機関、行政機関、司法機関、産業・労働機関でも公認心理師の需要があり、ますます活躍の場が拡がると思います。その大きな理由は、公認心理師が何といっても国家資格であるからです。法律で保証されているということはとてつもなく意味が大きい。すでに役所では、心理臨床技術者を公認心理師に読み替えており、ストレス・チェックの実施者には公認心理師が追加され、そのうちスクールカウンセラーも公認心理師の有資格者が求められるようになるでしょう。保険診療でも次の改定では公認心理師に点数がつくものと予想されます。公認心理師資格の2階に臨床心理士や臨床発達心理士が位置すればこそ、それらの価値が出てきます。
だからこそ、皆さんにはまず、心理職の基盤資格となる国家資格「公認心理師」を最初に目指していただきたいと思います。社会が君たちを必要としている!
【引用文献】
1) 杉本是明,狩野陽ほか.行動療法と短時間精神療法を組み症状を改善し得た不安神経症患者の事後経過―不安の精神病理―.心身医学.38,1998,347-52.
2) 日本の心理学に関する資格一覧.フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』.(2019年2月閲覧)
3) 厚生労働省.公認心理師法第7条第2号に規定する認定施設.(2019年2月閲覧)
4) 文部科学省初等中等教育局健康教育・食育課・厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部精神・障害保健課公認心理師制度推進室.公認心理師養成に係る実習性の受入れに関する御協力のお願いについて(依頼).(2019年2月閲覧)