超高齢社会の日本では今後、高齢者への心理支援ニーズが高まっていくはずだ。そこで心理士には何が期待されているか。看取りに力を入れている、サービス付き高齢者向け住宅(*1)「銀木犀」を運営する下河原忠道さんに聞いた。
(*1)サービス付き高齢者向け住宅…バリアフリー構造や広さなどの基準に則り、登録されている高齢者向けの賃貸住宅。多くは介護サービス事業所を併設し、要介護になっても支援を受けながら暮らせる。
下河原 1棟目の「銀木犀」を開設した頃ですから、8年くらい前になります。入居者の看取りに取り組んでいるので、そういう場では心理士の役割があるだろうと言われて雇用を検討しました。しかし、介護保険制度上は心理士を雇用しても報酬は出ません。また、そのときは心理士の雇用による目に見えるアウトカムがイメージできず、雇用に至りませんでした。
――介護報酬の裏付けがないことは、高齢者分野での心理士の雇用が進まない一因となっています。やはり、雇用は難しいのでしょうか。
下河原 そんなことはありません。ただ、何かアウトカムを示せるといいですね。8年前は、同じように介護報酬の裏付けがない歯科衛生士を、口腔ケア指導などを目的に雇用しました。この雇用によって、50人のホームで毎年数人あった誤嚥性肺炎での入院がゼロになるなど、目に見えるアウトカムを得られました。そんなふうに、利用者や事業運営にとってプラスになることが明らかであれば、報酬の裏付けがなくても雇用しやすいと思います。
――高齢者住宅で、心理士はどのようなアウトカムを示すことができるでしょうか。
下河原 おそらく、看取り率のアップで示せるのではないかと考えています。超高齢社会の日本では、これから亡くなる人の数がどんどん増えていきます。病院ではなく、「住まい」で自然な老衰死を看取っていくニーズは、日に日に高まってきているのです。そうした「住まい」での看取りにおいて、メンタル面からの心理士のサポートが必要になってくると思います。
下河原 そうなんです。今の日本は、自宅で亡くなっている人はわずか6%。1950年ぐらいまでは8割の人が自宅で亡くなっていたのが、1970年代から徐々に減ってきて、今では病院で亡くなる人が8割です。再び自宅や高齢者住まいでの看取りを増やしていこうと、今、VR(バーチャル・リアリティ)のコンテンツを使った介護職対象の研修を、厚生労働省の研究事業として行っています。VRのコンテンツは、高齢者本人がどんな最期を迎えたいと思っているかを知るトレーニングのためのものです。VR体験のあと、グループワークを行うのですが、そこでは参加者から様々な不安が語られますね。
(*2)高齢者住まいでの看取り率…高齢者住まい(介護付き有料老人ホーム、住宅型有料老人ホーム、サービス付き高齢者向け住宅)の居室、静養室、健康管理室等での看取り数を、死亡や入院、転居による契約終了数で割った数値
――介護職の方はどんな不安を持っているのでしょうか。
下河原 老衰死を自然な形で看取るとき、医療職も介護職も、できることはほとんどありません。ただ、そばに寄り添って見守ったり、手を握ったりするぐらいです。しかし、見守って何もしないことを、「薄情なのではないか」と不安に思う人が多いんですね。国民全体に、そういう意識がまだ根強くあることを感じます。この研修は、最期の時に「何もしない」という選択肢があることをきちんと伝え、理解してもらうための研修でもあります。そこで伝えていく役割を心理士が担ってくれると、高齢者住まいでの看取りはもっと増えるのではないかと思っています。
――その役割を、介護職や看護職ではなく、心理士が担う意義はどのようなところにあるでしょうか。
下河原 先日、「銀木犀」に命に関わる病気を持つ70代の方が入居されました。「もう自宅を引き払って帰るところはないし、ここで死ぬつもりだから」と、ニコニコ笑って言いながら、目からは涙がこぼれていました。きっと覚悟は決めている。でも一方で、自然と涙があふれるほどつらい気持ちもある。そのとき、この方の本当の心のケアまでは、やはり介護職や医療職では届かない場所もあるな、と感じました。
その方は、「一人で家にいるより、こういうところにいる方がいいと思ったから来た」とおっしゃっていました。確かに、みんなが普段通りに暮らしている場所にいる方が、気持ちは落ち着くかもしれません。そこに、心の奥底にある複雑な、言葉にしにくい思いをゆっくり聞いてくれる心理士がいてくれたらどれほど心強いだろうか、と思います。
――ご本人もですが、看取るご家族のメンタルケアでも心理士は役に立てるように思います。
下河原 そうですね。看取りの研修では、高齢者住まいで看取ると言っていたご家族が、亡くなる直前の下顎呼吸(*3)を見て動転し、「救急車を呼んでくれ」と言ったとき、どう対応するかというロールプレイも行っています。そうしたときも、心理士ならきっと介護職とは違う声かけ、対応ができるはずです。その積み重ねで、看取り率が向上するのではないかと思うのです。
とりあえず1人の心理士を雇用して、ホームを巡回しながら看取りや認知症ケアに携わってもらうことを、ちょっと考えています。高齢者住まいで、看取り率向上のアウトカムが得られたら、高齢者介護分野での心理士の雇用が広がるかもしれないし、制度への移行も実現するかもしれません。
(*3)下顎呼吸……死の直前に現れる、あえぐような呼吸
(インタビュー・文:介護福祉ライター/公認心理師・臨床心理士・社会福祉士 宮下公美子)
下河原忠道 Tadamichi Shimogawara 1971年生まれ。(株)シルバーウッド代表取締役。
建築用鋼板資材を扱うビジネスから高齢者住宅の企画・開発・運営に参入。
自然な形で入居者を看取る住宅として知られている。
(*1)サービス付き高齢者向け住宅…バリアフリー構造や広さなどの基準に則り、登録されている高齢者向けの賃貸住宅。多くは介護サービス事業所を併設し、要介護になっても支援を受けながら暮らせる。
高齢者住宅で心理士を雇用するには
――サービス付き高齢者向け住宅「銀木犀」では、以前、心理士の雇用を検討したことがあったそうですね。下河原 1棟目の「銀木犀」を開設した頃ですから、8年くらい前になります。入居者の看取りに取り組んでいるので、そういう場では心理士の役割があるだろうと言われて雇用を検討しました。しかし、介護保険制度上は心理士を雇用しても報酬は出ません。また、そのときは心理士の雇用による目に見えるアウトカムがイメージできず、雇用に至りませんでした。
――介護報酬の裏付けがないことは、高齢者分野での心理士の雇用が進まない一因となっています。やはり、雇用は難しいのでしょうか。
下河原 そんなことはありません。ただ、何かアウトカムを示せるといいですね。8年前は、同じように介護報酬の裏付けがない歯科衛生士を、口腔ケア指導などを目的に雇用しました。この雇用によって、50人のホームで毎年数人あった誤嚥性肺炎での入院がゼロになるなど、目に見えるアウトカムを得られました。そんなふうに、利用者や事業運営にとってプラスになることが明らかであれば、報酬の裏付けがなくても雇用しやすいと思います。
――高齢者住宅で、心理士はどのようなアウトカムを示すことができるでしょうか。
下河原 おそらく、看取り率のアップで示せるのではないかと考えています。超高齢社会の日本では、これから亡くなる人の数がどんどん増えていきます。病院ではなく、「住まい」で自然な老衰死を看取っていくニーズは、日に日に高まってきているのです。そうした「住まい」での看取りにおいて、メンタル面からの心理士のサポートが必要になってくると思います。
介護職、医療職とは違う心理士の役割
――下河原さんは、高齢者住まいでの看取り率(*2)を高めるための研修にも取り組んでいるそうですね。下河原 そうなんです。今の日本は、自宅で亡くなっている人はわずか6%。1950年ぐらいまでは8割の人が自宅で亡くなっていたのが、1970年代から徐々に減ってきて、今では病院で亡くなる人が8割です。再び自宅や高齢者住まいでの看取りを増やしていこうと、今、VR(バーチャル・リアリティ)のコンテンツを使った介護職対象の研修を、厚生労働省の研究事業として行っています。VRのコンテンツは、高齢者本人がどんな最期を迎えたいと思っているかを知るトレーニングのためのものです。VR体験のあと、グループワークを行うのですが、そこでは参加者から様々な不安が語られますね。
(*2)高齢者住まいでの看取り率…高齢者住まい(介護付き有料老人ホーム、住宅型有料老人ホーム、サービス付き高齢者向け住宅)の居室、静養室、健康管理室等での看取り数を、死亡や入院、転居による契約終了数で割った数値
――介護職の方はどんな不安を持っているのでしょうか。
下河原 老衰死を自然な形で看取るとき、医療職も介護職も、できることはほとんどありません。ただ、そばに寄り添って見守ったり、手を握ったりするぐらいです。しかし、見守って何もしないことを、「薄情なのではないか」と不安に思う人が多いんですね。国民全体に、そういう意識がまだ根強くあることを感じます。この研修は、最期の時に「何もしない」という選択肢があることをきちんと伝え、理解してもらうための研修でもあります。そこで伝えていく役割を心理士が担ってくれると、高齢者住まいでの看取りはもっと増えるのではないかと思っています。
――その役割を、介護職や看護職ではなく、心理士が担う意義はどのようなところにあるでしょうか。
下河原 先日、「銀木犀」に命に関わる病気を持つ70代の方が入居されました。「もう自宅を引き払って帰るところはないし、ここで死ぬつもりだから」と、ニコニコ笑って言いながら、目からは涙がこぼれていました。きっと覚悟は決めている。でも一方で、自然と涙があふれるほどつらい気持ちもある。そのとき、この方の本当の心のケアまでは、やはり介護職や医療職では届かない場所もあるな、と感じました。
その方は、「一人で家にいるより、こういうところにいる方がいいと思ったから来た」とおっしゃっていました。確かに、みんなが普段通りに暮らしている場所にいる方が、気持ちは落ち着くかもしれません。そこに、心の奥底にある複雑な、言葉にしにくい思いをゆっくり聞いてくれる心理士がいてくれたらどれほど心強いだろうか、と思います。
――ご本人もですが、看取るご家族のメンタルケアでも心理士は役に立てるように思います。
下河原 そうですね。看取りの研修では、高齢者住まいで看取ると言っていたご家族が、亡くなる直前の下顎呼吸(*3)を見て動転し、「救急車を呼んでくれ」と言ったとき、どう対応するかというロールプレイも行っています。そうしたときも、心理士ならきっと介護職とは違う声かけ、対応ができるはずです。その積み重ねで、看取り率が向上するのではないかと思うのです。
とりあえず1人の心理士を雇用して、ホームを巡回しながら看取りや認知症ケアに携わってもらうことを、ちょっと考えています。高齢者住まいで、看取り率向上のアウトカムが得られたら、高齢者介護分野での心理士の雇用が広がるかもしれないし、制度への移行も実現するかもしれません。
(*3)下顎呼吸……死の直前に現れる、あえぐような呼吸
(インタビュー・文:介護福祉ライター/公認心理師・臨床心理士・社会福祉士 宮下公美子)
下河原忠道 Tadamichi Shimogawara 1971年生まれ。(株)シルバーウッド代表取締役。
建築用鋼板資材を扱うビジネスから高齢者住宅の企画・開発・運営に参入。
自然な形で入居者を看取る住宅として知られている。