長谷川ゆり
そもそも、高校から浪人時代には自分も、親も、担任も、私が医学部に入れるな んて思ってもいなかった。そう考えると、小学生の時、親からなんとなく「お医者さんなんて、いいんじゃない?」なんて言われたことから医学部を目指すようになって、今があるなんて、不思議な感じがする。
そう言いながらも、医師を目指したのは遅くとも9歳であったことが、証拠として残っている。9歳の時、つくば万博に母と行った。この時、ポストカプセル2001という、1985年の自分から、2001年の正月の自分に宛てて「はがき」を出せる企画があった。何かを書いて投函したが、内容については思い出せなかった。2000年の終わりには、このポストカプセル2001の企画はそれなりの話題になっていた。引っ越しにより少し遅れたが、2001年1月10日ごろに「はがき」は無事、実家に届いた。そこには9歳の自分の字で「ゆりさん、勉強がんばってますか。16年後の私はお医者さんです」と書かれていた。浪人していたため、医師国家試験の受験の年だったのだが、さすがに9歳の自分は裏切れないと、国家試験の会場まで「はがき」を御守りとして持って行った。ちなみに、母は感動して泣いていた。
産婦人科を選んだのも、たいした理由はないのだが(多分、部活の先輩が「女性がなるのはいいんじゃない?」とか言ったから)、そんなものかもしれない。医師になってからは、たいして大学時代の成績も良くなかったけれど、せめて誰かが困ったときには気兼ねなく呼んでもらえるような医師になりたいと思ってやってきた。現時点で、少しは頼りにしてもらえる産婦人科医になれている気がする。
医師、そして産婦人科医になって、浪人時代や若手医師のころを思い返すと、自分の好きなことを職業にできて、なんて幸せな人生なんだろうと思う。何の身分でもない浮き草のような浪人時代に、THE BLUE HEARTS の「未来は僕等の手の中」を聞いていた。ぜひ、若手の皆さんにもお伝えしたい。きっと、「未来は僕等の手の中」にある。
本記事は『ペリネイタルケア』2024年7月号の連載Rootsからの再掲載です。
*** 今月号からスタート!! ***
新連載①
“助産ガイドライン解説版”にもとづく 指導力アップ↑講座>
妊産婦に伝わる!行動が変わる!教育資料イノベーション
〈第1回〉明日からの保健指導に活かせる!「妊娠出産される女性とご家族のための助産ガイドライン」の紹介と活用方法
「妊娠出産される女性とご家族のための助産ガイドライン」(助産ガイドライン解説版)は、「エビデンスに基づく助産ガイドライン」を妊産褥婦向けにひもとき、納得のいく医療を受けていただく一助となることを目的に、2021年に発刊されました。一方、周産期医療の現場で用いられている妊産褥婦向けの教育資料の多くは、情報が十分とはいえません。“妊産褥婦が理解しやすく、行動変容につながりやすい資料”を作成するためのヒントを本連載でお伝えします。
新連載②
助産師のための かんたん英会話
〈第1回〉訪室時の会話