取材
河合 蘭(出産ジャーナリスト)
ー本稿は、取材と母・あゆみさん本人の手記をもとに構成しておりますー
去る2024年6月17日、坪田さとみさんは急逝されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
本記事は、その1カ月前に取材したもので、情報は取材当時のものです。
本記事は、『with NEO』2024年4号 p.107~109の続きです。
新生児科医で母乳育児の第一人者である橋本武夫医師には、長年、定期的に訪問している親子がいる。9歳の時から、もらい乳で生命の危機が救われたという少女は、もう20代になった。
(撮影・河合 蘭)
「エビデンスが重視されるのが今の医学ですが、医学は、たった一例からも学ばなくてはいけないと私は言いたい」と橋本医師。
橋本医師が訪ね続けてきた坪田さとみさんは原因がわからない脳神経の障害があり、9歳の時から反復して下痢が止まらずまったく栄養が摂れなくなった。その時、母親・あゆみさんは、機転で冷凍人乳(もらい乳)を飲ませ、危機を乗り越えたという。今、さとみさんは29歳を迎えて、自宅療養を続けていた。
あゆみさんは、一体どうやって冷凍人乳を手に入れたのか。また、なぜ橋本医師に巡り合うことができ、新生児科医と母親はどんな交流を続けてきたのか。パンデミックもおさまって久しぶりに坪田家を訪ねた橋本医師に同行して、あゆみさんからその稀有な物語をお聞きした。
『with NEO』2024年4号のあらすじ
あゆみさんは、さとみさんの状態が悪化していく中、医師がほんの冗談のつもりで言った「(母乳を飲んでいた)赤ちゃんの時は元気だったんだよね。じゃあ、お母さん、母乳を出してみるか!」(医師はその後、「冗談だよ、冗談」と笑いながら退室した)という一言で、「母乳を試してみたい」という気持ちでいっぱいになっていました。頭の中で「どうしたら、母乳が手に入るだろう」とずっと考えていました。その時、ふと急に、当時ピアノを教えていたひとりの生徒のお母さんの顔が思い浮かんだのです。
やむなく、医師に内緒であげ始めた
坪田あゆみさん・さとみさん親子。さとみさんが15歳のころ、自宅にて。私はその直感に従いました。私はクリスチャンなので神様に「母乳という素晴らしいアイディアが与えられました。これが神様から与えられたものなら、きっと必ず与えられると信じます」と祈っていたら、あるお母さんの顔が浮かんだのです。
そのお母さんに電話をすると、彼女は話を聞いて驚かれました。なぜなら、彼女の妹さんが最近出産したばかりで、母乳がたくさん出ているので私に分けることができるというのです。これには私自身が、しばらく、彼女が言っていることを信じられませんでした。「母乳をあげてみたい」と思い立って24時間も立っていないのに、もう母乳が手に入ることになったのです。
私は嬉しくて、その日のうちに先生にそのことを報告しました。ところが一緒に喜んでくれるとばかり思っていた先生が発した言葉は意外でした。
「お母さん、ダメです!絶対にダメです。そんなことを病院でやられては困ります」
「でも、他に方法がないではないですか。全責任は私がとります!試させてください。お願いします!」
私は必死に頼みましたが、先生は決して許してくれませんでした。そしておっしゃったことは、
「どうしても母乳をあげたいなら、退院してからにしてください。それはご家族の自由」
退院などできるはずがないのに、そんなことを言われて、私は困り果てました。その間も私の横でさとみは苦しみ続けて、冷凍人乳はというと、私の母が、タクシーに乗って病院に届けようとしている途中でした。
ちょうどその時、友人がお見舞いに来てくれました。その友人に私が事情を話すと、その友人は笑って言いました。
「私だったら、内緒で試すわ。それでさっちゃんの下痢が止まったらラッキーでしょう。第一、母乳の何が悪いの?」
それでもためらう私に、友人は声を荒げて言いました。
「あんた、真面目すぎんねん!お医者さんは、お医者さんの立場でしかものを言えないっていうことがあるやろ?母親やったら、もうちょっと大人になり!」
何でもその友人の親族には、戦後、身内がもう助からないと言われた時、「鹿の生き血を飲むと助かる」と聞いて、本当にそれを手に入れ、医師に内緒で飲ませた人がいたそうです。それが効いたかどうかはさておき、その人は回復したそうです。
「鹿の生き血に較べたら、母乳なんてかわいいもんやなぁ」
私も友人も、そう言って、いつしか笑顔になってしまいました。それにしても、鹿の生き血なんて一体どうやって手に入れたんだろうかと二人で話していたところに、冷凍人乳をもった私の母が到着しました。
母にも医師とのいきさつを話しましたが、母は迷うことなく、一言言いました。
「母乳はいいものだから、さとみにやりなさい」
この母の一言で、私は決心しました。これはきっと意味があって与えられた母乳なのだから、きっとうまく行く。そう思いながら、母乳50ccをチューブからさとみに与えてみました。
母乳がポタポタとさとみの胃の中に入っていきました。すると、唇の色が急に赤くなり、それまでひどく反っていた身体の力が抜けてそのまま眠りました。
注入の時、さとみを抱いていた香織さんは、腕の中でさとみのほっとしたような寝顔を見て泣いていました。
その夜、下痢がぴたりと止まりました。
人乳継続への決心
翌日、病室に来た医師たちは、「あれ?下痢が止まったの」と驚きました。でも「よかったねえ、さとみちゃん」というだけで、この変化を別に不思議なこととは思っていない様子でした。こちらも母乳をあげたとは言えませんが、私にしてみれば、それは母乳のためとしか考えようがありませんでした。
再び先生に母乳の話をすると「その話はだめですよ、第一非現実的じゃないですか。母乳を搾って人にあげるなんて、そんな大変なこと、誰がしますか?」と言われました。
院内の他の医師も同じような意見でした。男性ではなく、子どもがいる女性の医師はどうだろうと思ったのですが「どうしてもあげたければ、倫理委員会で審議してからということになります。感染の問題もあります」と言われました。それはその通りだと思いましたが、さとみはもう、明日何が起きるかわからない状況でした。
誰もが大学病院の一律なルールを、さとみの命よりも優先しているように思えました。しかし、その医療に頼らなければ、さとみは生きていけません。私は自分の無力に打ちひしがれました。
「あゆみさん、それはしかたがないよ」と話してくれたのは、そんな時にお見舞いに来てくれた、大きな組織に属している友人でした。
「どんなにさとみちゃんのことを考えている良い先生でも、親じゃないんだ。先生のことも理解してあげないと」
私が先生と同じ立場だったらどうだろう、と私は考えました。大学を相手に、ひとりの患者のためにどこまで闘えるだろうか。そう自問自答した時、闘うとは言い切れない自分がいました。その友人は「僕だったら、内緒で母乳をあげ続けるな」と言って帰っていきました。
私はそれまで直球しかわかりませんでしたが、その時「ここは、変化球を学ぶときなのかもしれない」と思いました。ともかく、さとみは明らかに快方に向かい始めたのです。
さあ、それなら次の課題は、「どうやって継続的に冷凍人乳を入手し続けるか」ということでした。いつまでも一人のお母さんに頼り続けることはできません。
【現地取材・2024年3月11日】
次号へつづく
本稿では、母乳・人乳の用語について下記の通り使い分けをしております。
- breast milk(feeding):胸に抱いてあげる母乳
- mother’s milk:母乳
- human milk:人乳
本記事の前編は『with NEO』2024年4号でご覧いただけます。