佐藤和夫
小児科を選んだ理由は、患者さん全体を診る医師になりたかったことと、子どもの生命力に惹かれたからです。1982年、九大小児科に入局、1年目は福岡市立こども病院新生児科から始まりました。臍カテ確保、気管挿管など、近藤 乾部長は私に幅広い経験をさせてくださいました。泊まり込みで診ていた超低出生体重児が無事に退院したときは、とても嬉しく思いました。頭蓋内出血で死亡する症例なども経験しました。新生児医療はやりがいがあると思う一方で、死亡退院のつらさも感じた、小児科医のスタートでした。
研修医を終えて大分県立病院に赴任しました。小児科全般に加えて、開設直後のNICUでも診療しました。忙しい診療の日々でしたが、大分県の新生児死亡率が全国下位の高さから、翌年全国トップの低さになり、東保裕の介部長や皆と一緒に喜びました。この経験が新生児科医へ導いたのだと思います。1986年からは、再びこども病院で、肺サーファクタント、経皮中心静脈カテーテル、HFO、NO吸入療法など、新生児医療が大きく変わる時代を経験しました。NICUで診た児をそのまま長くフォローアップすることもできました。嬉しいことに成人した本人から年賀状が届きます。
産科がなかったこども病院から、2000年に九州医療センター周産期センターに異動しました。健常新生児を診る楽しさを知り、母子支援の大切さを学び、長く実践に努めました。現在(2023年定年)は、フォローアップ健診を継続し、医療的ケア児・者の訪問診療もしています。あるお母さんから「和夫先生!」と声を掛けられました。こども病院時代に私が診ていた方のお宅だったのです。新生児医療とのつながりを感じています。
幸せになりたかったら子どもに関わる仕事をしなさい…」「夢をもちたかったら母子に関わる仕事をしなさい…」、大先輩の馬場一雄先生と、尊敬する仁志田博司先生の言葉です。
子ども・新生児を診ることは、ほんとうに幸せだと感じている今の私です。
本記事は『ペリネイタルケア』2024年6月号の連載Rootsからの再掲載です。
*** 新連載スタート ***
今こそ考えよう!助産師がすべき災害時支援
〈第1回〉日本の災害の現状と、助産師がすべき災害対策・支援の必要性
妊産婦・母子・女性支援の専門職である助産師が災害時にすべきことはなんでしょうか? 乳幼児・妊産婦は、発災時、要配慮者であるにもかかわらず、助産師からの支援のみならず、医療や物資が優先的に行き渡りにくいのが現状です。本連載では、発災時に妊産婦・母子・女性が必要とする支援と、フェーズに応じた 支援の提供方法を再確認し、助産師である私たちが減災のために平時からすべきことについて、情報を整理してお伝えします。