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トップページ 新生児・小児/助産/ウィメンズヘルス Cure&Care&Nursing 導かれるままに―人間万事塞翁が馬―|増本健一|Roots|#003

東邦大学医学部 新生児学講座 准教授

増本健一


 父が新生児科医であったことが新生児科を選んだ一番の理由だ。私の父、増本義は、日本の新生児医療の黎明期に米国に留学し、故・仁志田博司先生らと共に日本の新生児医療の発展を支えてきた人物の一人であった。父はひたむきに新生児医療を愛し、昼夜を分かたずNICUで働いたが、私の大学入学と同時に病で亡くなった。仁志田先生が詠まれた詩、「新あなた生児に生きる」を全うした人生であった。

 私への父の遺言は、「新生児科医にはならんほうが良か」だった。その厳しい労働環境と不規則な生活から病を患った自身を顧みて、私に同じ轍を踏ませたくな かったのだと思う。学生時は父の思惑どおり新生児科医になるつもりは毛頭なく、なんとなく形成外科医がスマートで良いなと考えていた。ところが病棟実習で小児科を回ったとき、新生児医療をやろうと思った。病態生理を大切にする診療が魅力的で、何よりNICUの温かい雰囲気が自分に合っていると感じた。ちゃんとした医師になれる気がした。

 実際に新生児科医になると、どちらかといえばつらいことが多かった。特に、重度の脳障害を合併した児を担当することを重荷に感じた。また、NICUという環境に閉塞感を感じることも多く、何度か新生児科を辞めたいと思った。「親父の遺言を守らんのやけん」、親戚から言われた言葉が心に刺さった。

 卒後7年目にいったん新生児科を離れた。先天性心疾患児の看取りがきっかけである。動脈管依存性心疾患であったが、治療は行わない方針となり死を見届けた。体系的に小児循環器学を学び、NICUで指導できるようになればこんなことはなくなるはずだと信じ、静岡で小児循環器科医として必死に勉強した。学ぶこと全てが新鮮で充実した3年間であった。その後、新生児科に戻ると、今までと景色が違って見えた。NICUの閉塞感からも抜け出せたような気がした。

 不思議な巡り合わせで、今は研修医時代の指導医と共にNICUで働き、小児循環器チームの仲間と共に小児循環器診療に携わっている。人間万事塞翁が馬、導かれるままにここにいるが、果たしてちゃんとした医師になれているだろうか。


本記事は『ペリネイタルケア』2024年4月号の連載Rootsからの再掲載です。

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